フェノール豚レインのチラシの裏

なんか書き散らかす

おまえは相崎うたうの描く関係性に殴られ、過酷なメキシコに挑む覚悟を決めろ

よくきたな、おれはフェノール豚レインだ。おれは毎日すごい量のきらら作品を読んでいるが、誰にも紹介するつもりはない。

しかし、今回おれはきららMAX期待の星、相崎うたうが新作の「瑠東さんには敵いません!」の1巻を発売したので、いてもたってもいられなくなり、この記事を書くことにした。

 

 

 

今すぐ読まないやつは腰抜け

まんがタイムきららに少しでも触れているおまえは「どうびじゅ」というワードはTwitterとかで目にしたことがあるだろう、きらら沼に浸かっているオタクは大なり小なり相崎うたう初連載作の「どうして私が美術科に!?」を読み、尊さによって殴り倒された経験があるからだ。

だがおまえは妙にひねくれており、乗り遅れたのが悔しく、きららは面白さが保証されているアニメ化作品を読み、非アニメ化作品には触れないのが賢いと考えて、ひとり悦に入っているとゆう有様だ。もしくは「美術科…ひだまりスケッチとかそういう、きららだから代わり映えない日常ものだろう…」とか平成を引きずった決めつけで読もうとしない。どちらも完全な腰抜けであり、完全にどうしょうもないことが証明されている。いつからおまえはそんなになってしまったのか?ソシャゲーの課金ガチャのせいで、おまえの中の真の男は死んでしまったのだろうか?仮にそうだとしても…よみがえる。瑠東さんには敵いません!を読むことでだ。

 

「瑠東さんを読むならどうびじゅを先に読んだほうがいいの?」おまえはすぐそうやって聞いてくるかもしれない。オタクならそういうところは気になるかもしれない。現に和村も気にしていた。真の男はそういうときいちいち前作とか事前情報は気にしない。読むべきだと思ったらすぐに読むべきだ。おまえがこの記事を読むのにつかっている端末はただの金属とプラスチッコの塊か?電子書籍でもきららベースでもいい、第一話だけでもいい、今すぐこの記事を閉じて読め。そうゆうピリピリする緊張感を思い出せ。そうしなければどうびじゅの時のように話題に乗り遅れ、おまえはおれがこんなにも勧めたにも関わらず、令和きららの一端に触れることなく時が流れ、つまらない人生を送り、年老い、やがて…死ぬ。だから決断的に読むべきだ。今はきららベースという無料で後追い連載を読める方法もある。試しに読んでから判断しても遅くはない。

 

 

相崎うたう作品の持ち味を知れ

瑠東さんには敵いません!がなんなのかについて説明するべきだろう、なぜならこの記事は瑠東さんには敵いません!についてレビューする記事だからだ。

瑠東さんには敵いません!は4コマ漫画だ。4コマ漫画は起承転結があり、新聞に連載されているようなものだ。しかし、きららに触れている者ならそれだけではないとわかるはずだ。きららをはじめとした4コマ専門誌では6~8ページでだいたい11から15本の4コマでストーリー展開をしている。4コマでスたーリーを描くのだ。これがどういう意味かわかるか?例外はあれどコマ割りが限定されるため、ストーリー漫画のような視線誘導や見開きといった小細工が使いにくいということになる。つまり、ストーリーとキャラの見せ方が勝負の鍵になるのだ。少なくとも、とある走り屋漫画のようにコーナーひとつ曲がるのに一話使うといった芸当はできないし、許されない。だから、一話一話が濃厚なことが既に保証されている。

そんな漫画界のメキシコというべきまんがタイムきららMAXで連載されているのが「瑠東さんには敵いません!」だ。

この作品はクラスによくいるオタク女子の和村千紘が真逆の存在であるクラスのアイドルで絵に描いたような(実際絵に描かれているのだが)優等生の瑠東かなめに授業中に自撮りに誘われるところから話が始まる。

言ってしまえば、近年のきらら作品によくある陰キャ主人公ものだ。そんなテンポレートな漫画で「オタクに寄り添ってるでしょ?」ってあざとい態度を示そうものなら、おれは機嫌を損ね、iPad mini4を投げ出し、愛機のRIDLEY  FENIXで自転車トレーニングをしてシャワーを浴びてふて寝する。だが、瑠東さんには敵いません!はそんなことは皆無だと断言できる。

この作品は相崎うたう作品の最大の持ち味である関係性を前面に押し出した作品だ。もともと、作者の初連載作「どうして私が美術科に!?」は同じ高校の美術科ものである「ひだまりスケッチ」、「GA 芸術科アートデザインクラス」と差別化するためにキャラの関係性に重きを置いた作品だ。その作風が尊いとどうびじゅに殴り倒され語彙が死んだきららのオタクにウケた。しかし、あほのきららMAX編集部は今後のためというよくわからない理由で3乙にしてしまった。これはタルサ・ドゥームのわなだ。この暴挙にはTwitter重篤きららオタクどもは怒り狂った。正直、おれも怒り狂ったし、いまだにX室の面々が卒業するまで見届けたかったと思っている。しかし、それはそれだ、いつまでも過去に囚われる腰抜けにならないため、編集部の判断が正しかったのか見届けるため、今作に向き合おう。

話は戻すが、今作はそんな相崎うたうの持ち味である関係性を前面に出していると言っていい。どうびじゅでは5人のキャラがメインで話が進んでいたが、今作ではメインは和村と瑠東の2人がメインで話を進めることになる。そこに小守文美とゆう文学少女も入るが、基本は和村瑠東の2人で話が進む。いわば1対1の関係性が取り上げられるわけだ。どうびじゅの5人に比べ、より濃い関係性が見られるわけだ。きららを好んで主食とするオタクは女子同士の関係を好む傾向にある。そんなオタクに1対1の特濃な関係性をぶつけることになれば…おそらく無事では済まない。一歩間違えれば関係性に殴られ笑顔で息たえて死ぬ。今作はまさに一瞬の油断が許されないメキシコの荒野のような真の男のための作品だ。

 

登場人物

瑠東さんには敵いません!では先に言った通り、主に2人で話が進んでいく。

 

和村千紘(わむらちひろ):今作のメインキャラのひとりだ。黒髪メガネで典型的なオタクだが、何故か瑠東に懐かれる。言動や思考はオタクそのものだが、時折イケメンな行動を取る。あまり学力は高くない。

瑠東かなめ(るとうかなめ):今作のメインキャラだ。成績優秀、品行方正、容姿端麗で人望も厚い典型的な優等生だが、実はいたずら好きなお調子者という本性がある。「席が後ろでチョロそうだから」という理由で何故か和村に懐いているが、1巻では本当の理由はわかっていない。おそらく、本当の理由が明かされたらきららのオタクはニンジャにエンカウントした哀れなモータルのごとく惨たらしく殺される。

小守文美(こもりふみ):和村の友人のひとりで見た目ふわふわな文学少女。瑠東のファンでもある。ひたすらに純粋ないい子でなんやかんやで瑠東と友人になる。

久保と太田:和村のオタク友達。2人揃ってメガネ。

 

濃厚な関係性の右ストレート

瑠東さんには敵いません!はいわばガール・ミーツ・ガールだ。女が唐突に女に懐かれ、話が進む。これをオタクが聞けば「安易な百合…あざとい商業主義の成れの果て…」と本質的ではない批判をするだろう、もしくは「百合…日常もの…フィーヒヒヒ!」と蚊柱を立てるオタクもいるだろう。こういう完全なあほは、ただ口を開け与えられる餌を食べるだけのガチョウであり、メキシコでトレホのナイフが刺さる前にちょっとした日差しで死ぬうらなり坊やだ。

確かに、見てくれは石の裏で隠れ潜んでいる虫のごとくクラスの隅に隠れるように過ごしている陰キャが、陽の者に安易に日向に引き摺り出されたように見える。

だが、これは相崎うたう作品だ。そんな安易な作品だと見れば、おまえはこのメキシコでそのへんの暴漢に撃たれて死ぬだろう。瑠東は1話の時点で和村に対して好感度がMAXなのだ、和村はそんなオタクの間合いを無視して距離を詰めてくる瑠東に対して最初は引き、戸惑いながらもなんやかんや接するようになる。和村は陰で瑠東は陽の者、スクールカーストで見れば本来交わらないであろう2人が周りに隠れて交流している。

立場や属性は関係なく「純粋なまでに」瑠東は和村と仲良くなりたいのだ。何故かはわからない。しかも、瑠東は徹底的に本当の理由を隠している。しかし、浅からぬ理由であることは明白なのだ。これが一端でも明らかになれば、おれなら間違いなくバーで注文したCORONAを飲むことなく死ぬだろう。そのメキシコの荒野のような緊張感こそ、この作品のいいところなのだ。

 

おまえは伝説を見る

この作品はまだ始まって1年だ。しかし、熱狂的でコアなファンがついていたどうびじゅを畳んでまで始めた作品だ。しかも、今作の前に短期掲載していた「月が綺麗だから盗んで」をふいにしてでも始めた作品だ。相崎うたうが苦しんで制作した作品なのは間違いない。

その決断が本物か見定め、今作がどうびじゅはまぐれではなかったと証明し、きららMAXの次期エースとして君臨する作品であると期待したい。